■■ 2017/9/7 ■■

県内の武田信玄ゆかりの地を巡って御朱印をいただいてきました
家を出て、まず向かったのは、甲州市にある恵林寺




乾徳院 恵林寺 開山堂
三門をくぐって正面に見えるのが甲州市指定文化財の開山堂
夢窓疎石、快川紹喜、末宗瑞曷の三像が堂内に安置されている

山梨県甲州市塩山小屋敷滑沢2280



恵林寺は、臨済宗妙心寺派の名刹
元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄の地頭職(領主)をつとめていた二階堂出羽守貞藤が、
夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました
武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川和尚の入山で寺勢を高め、
永禄7年(1564)には、信玄自ら寺領を寄進し当山を菩提寺と定めた




方丈庭園 : 本堂の正面を進むと、左手にみえるのが枯山水式の庭園である
恵林寺庭園 : 国の名勝指定を受けている庭園。京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)とともに、
夢窓国師の代表的な築庭として有名である。700年近い歴史がある








お食事処『一休庵』で落ち着いた雰囲気のなかで食事
ミニ精進料理とそば定食



左:恵林寺御朱印  右:善光寺御朱印




甲斐善光寺
 甲府市善光寺にある浄土宗の寺院。正式名称は定額山浄智院善光寺と称する
長野県長野市にある善光寺をはじめとする各地の善光寺と区別するため
甲斐善光寺と呼ばれることが多く、甲州善光寺、甲府善光寺とも呼ばれている
山梨県甲府市善光寺3-36-1




この寺の始まりは、開基武田信玄公が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、
永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まり
また江戸時代には、徳川家の位牌所にもなっていた




山梨県 護国神社
西南戦争以来の山梨県関係の戦没軍人・軍属の英霊25039柱を祀る
明治12年、招魂社として市内太田町に建立されたのに始まる
昭和17年に現在地に遷座し、昭和19年、山梨縣護國神社に改称した

武田神社近くにあり、三条夫人の墓所がある円光院とも近いため立ち寄りました






円光院
武田信玄の正室・三条夫人の菩提寺として有名、釈迦如来を本尊とする
武田信玄が定めた甲府五山のひとつで、臨済宗妙心寺派の寺院
御朱印はありませんが、こちらにある三条夫人の墓所をお参りし、
近くの武田信玄の火葬塚へ向かいます
山梨県甲府市岩窪町500-1



左:武田信玄火葬塚 中央:円光院 三条夫人墓所 右:恵林寺 武田信玄公墓所
信玄の跡を継いだ武田勝頼は、信玄の遺言により、3年間信玄の死を秘匿し、
天正4年(1576)武田二十四将の土屋右衛門昌次邸で荼毘に附し、
遺骸は菩提寺である恵林寺に埋葬された
この土屋家屋敷跡は「摩縁塚」と呼ばれ住民も近寄れない聖地となったが、
その後、発掘され墓石が建立された




武田神社
大正4年、大正天皇のご即位に際し信玄公墓前に従三位追贈が奉告されたのを契機に、
県民に武田神社ご創建の気運が沸き上がり、官民一体となった「武田神社奉建会」が設立され、
浄財によって大正8年には社殿が竣工、4月12日のご命日には初の例祭が奉仕された
武田神社の御祭神は武田信玄公
山梨県甲府市古府中町2611 






武田神社御朱印
百鬼丸(切り絵師)さんの絵があります。 立像と座像が選べます

武田ゆかりの地は、県内に沢山あります
他のところも今度まわってみます